野沢菜トピックス

野沢菜のしおり


 晩秋に蒔いた種子用の野沢菜は、五月に入ると雪どけとともに成長し、あのレモンイエローの菜の花が鮮やかに村々を埋めつくすのです 。


うっすらとした黄緑色の茎の上にひろがる黄色いカーペットのような、それは一瞬見る人の心を覚醒させるようなキラキラ輝く風景です。



 菜の花畑に 入り日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし

 文部省唱歌「おぼろ月夜」は、この景を歌ったものといわれていますが、この歌の作詞者 高野辰之先生は、となりの豊田村に生まれ、晩年は野沢温泉に庵をむすんでいたのです。


 この野沢菜を厚まきにして、間引いて食べるのが「春菜」。


浅漬などにして食べますが、これは六月中旬まで食べられるのです。

 

 



 菜の花が散るとやがて種の収穫がはじまります。六月上旬から七月上旬にかけて、梅雨の晴れ間をみつけて取り入れます。


これを陰干しにして、よくかわいたところで足で踏んで種をとるのです

 


 春から夏かけては野沢菜の種の収穫です。

 

そして七月下旬、この野沢菜の種子を買い付けに全国各地から種子の問屋さんがやってきます。

 

 野沢菜といえば、今では信州の 代名詞のようになっていますが、種子はやはり原産地野沢温泉のものが一番、最近ではかなりの高値です。

 

 そして、取り入れのすんだ菜畑では、菜がらを焼きま す。

 

 このあと有機肥料をたっぷり散布して耕運し、再び秋菜用種まきに備えるのです。
 

 

 

漬け菜用野沢菜の種まきは「七夜盆」といわれる八月二十七日、八日ごろまでに行われましたが現在は以前と比べて気候が暖かくなり九月前後が種まきの適期になっています。 

 

 

 

 


 

 野沢の夏は短い。七夜盆をすぎると朝晩はめっきり涼しくなり、風は枯れ草の秋の粒子を運んできます。種をまいてから三日も すれば芽を出しますが、五・六日して「一番間引き」をします。


 これを湯がいて食べるわけですが、野沢の人たちは「鯛の刺身よりうまい」といって、この野沢 菜の初物を珍重します。  


 間引きは、十月中旬まで二、三回ほど行われますが、「三番間引き」以後は十センチ以上になり、これは「当座漬け」。


 初々しい歯ざわ りです。また、これとは別に、雪の下で越冬する種子用の野沢菜は、九月十日前後にまかれています。



 

 九月八日は湯沢神社の「とうろう祭り」、祭ばやしの音は秋風にのって野沢菜の青い菜の上をわたってゆきます。

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 あの道祖神火まつりの御神木を、ブナ林へと引き出しにゆくところ、冬は毛無山の彼方からそろそろやってきます。


 野沢菜の収 穫がはじまるのもその頃。十一月初めから半ばにかけて村のあちこちでの菜畑では忙しいとり入れが行われます。


 そして、北信濃路の風物詩ともいわれる「お菜 洗い」がはじまるのです。


 早い年では、初雪も舞い、季節は晩秋でも野沢はもう初冬、木枯らしが上の平高原黄金色に輝くブナの葉を吹き飛ばしてゆく頃です。


 

 でも、お菜洗いは外湯の中、野沢の女性たちは、ここで世間話に興じながら、ていねいに一メートルほどもある野沢菜を洗うのです。


 洗い清められた菜は、一石桶と呼ばれる大きな桶に、各々の家伝の教え通りに大量に漬け込まれるのです。
 

 年が明けて、あの雄大な「火祭り」がはじまるころには、美味なる「お菜漬け(野沢菜漬)」が味わえるようになります。